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January 17, 2006

消えない記憶がボクにはある

あの年のあの日あの時、芦屋の街の片隅で

ボクは瓦礫の下に埋まった老夫婦を助けようと
パジャマに革靴という、通常ではありえないカッコで
懸命に屋根瓦を飛ばし、てこの原理で柱を持ち上げ、
声をかけ続けてようやくとお爺さんを助け出した
でもお婆さんの方は途中から声も聞こえてこなくなり、
運び出した時には既に亡くなっていた

次の家では、身体が通るか通らないかのギリギリのところを
くぐり抜けて小学生の子供とお母さんを助けに行った
そこには、お弁当に作ったウィンナーが散っていて、
まるでその中の一本のように指が地面からにゅっと飛び出していた
掘っても掘っても身体が出て来なくて、
ようやく顔が出て来たけど完全に生命を失った顔で
どうすることもできなかった
家の外で待つお父さんには報告すらできなかった

今もこの日に記事を読む度に、鼻に土煙の匂いがよみがえり、
助けられなかった人達の事を思い、自分の無力さ、小ささを
思い返さずにはいられない
あの時、あーすれば良かった、なんて後悔はないけれど
人工呼吸の方法や心臓マッサージの術などはあれからしっかり身につけた
あの時助けられなかった命の代りに誰かの命を救えれば、と思っている

また、愛する人を失ってしまう怖さを心に身体に刻み込まれてしまった
これだけは言っておけば良かった、なんて後悔だけはしたくないから
思ったことはすぐに言うようになった
ニュースで流れる『一人』の死亡記事にもその家族を想い、哀しむようになった
まるで、cmやgのように亡くなった人数を単位で表す『交通死亡者数ランク』
という言葉に嫌悪感を抱くようになった

この日だけは、手帳に書かなくても忘れる事は一生無いだろう
願わくば、こんな日が今後誰の身の上にも起こらないように…
末筆となりましたが、
あの日亡くなった多くの方々に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます

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Comments

ある日を境にして、この日のことも、そして日々報じられる事故・事件も、平静な気持ちでは読めなくなりました。まさに

∥ニュースで流れる『一人』の死亡記事にもその家族を想い、哀しむようになった

こういう気持ちで接しています。何人かのうちの一人ではなく、ひとりひとりなのです。

Posted by: | January 17, 2006 at 12:09 PM

我が事に置き換えて考えられるかどうか…
とても簡単なようで、でも多分自分がその現場にいないと
わからないという…
人間ってなんなんでしょーね

Posted by: 章仁 | January 17, 2006 at 12:50 PM

なんと言ったらいいか分かりませんね。辛いことだと思いますが、うちの所は東海大地震の膝元、しかも海の近くなので、毎回家族で避難所の相談、確認、避難訓練には参加していますが、実際発生したときには、どう対処できるか・・・それが問題です。

Posted by: ZEAK | January 17, 2006 at 01:48 PM

日頃から心掛けているだけでも随分違うでしょうね
後は阪神の大震災の時思ったのは、
意外と近所は近所の事を知ってるんだなーって事

『ここは爺さんと婆さんがこの辺で寝てる筈だから!』
『後はお嬢さんがこの家はいる筈だ!』
とか、そんな情報が咄嗟の時は随分役立ちました

だから、というわけでもないんですけど
ご近所付き合いはちゃんとしておいた方がいいですね

Posted by: 章仁 | January 17, 2006 at 06:45 PM

阪神淡路大震災の時に、生存率が高かった地区は、地域コミュニティがしっかりしていた所みたいですね。現場にいなかったので、知り合いから聞いた話ですが。そういう意味では、静岡はまだ田舎なので、玄関先に大根やキャベツ、ミカンが置いてあったりします。
いい人ばかりでなく、意地悪するひともいますけどね。
何を言っても、コミュニティは大切ですね。

Posted by: ZEAK | January 17, 2006 at 07:33 PM

章仁さん、ありがとう。

この文章を読んで、深く考えました。そして、自分が今何をすべきか、それが見えました。

それはただ「後悔しないように生きる」という一言に過ぎないですが、自分にとって非常に意味のある言葉です。

章仁さん、本当にありがとう。
(すみません、なんか変なコメントで)

Posted by: 学 | January 17, 2006 at 10:14 PM

はじめて書きます。shuaと申します。
私はあの時神戸にいました。27歳でした。
独身で両親と一緒にいました。
地震の揺れ・ショックの大きさのあまりか、自宅周辺の被害が他地区と比べてそれほどひどくなかったせいかは今でも分かりません。

でも当時は誰かを助けに行くことはできなかったというか、そういうことには考えが及びませんでした。それよりもこれからどうしよう、親戚は全員無事だった、よかった、ただそれだけでした。

しばらくは仕事にも行けない、行く気がしない、何から手をつければいいのだろう、という日々が続きました。

日がたつにつれ感覚は麻痺するかのように薄れていき、正常な日々に戻ったかのように思えます。

いつ同じような状況にまた見舞われるかもしれませんが、そのときはあの時とは違う自分に出会えるよう今日をまた心に留めておきたいと思います。

Posted by: shua | January 17, 2006 at 11:09 PM

私は体験者では、ないのですが、その後すぐに消防署の普通救命講習を受けました。
少しでも救える命をまず救おう、との思いからです。まずは目の前の命を・・・

あの日、政財界のパーティーを優先させて、側近からの自衛隊の出動を最後まで渋った、当時の首相を私は何時までも忘れません。

Posted by: 鶴丸 | January 18, 2006 at 02:25 AM

ZEAKさん>
その後の復旧に尽力するボク達の励みになってくれたのは
オリックスの優勝だったり、ホテルに灯る『ガンバロウ』の文字だったり、と
結局人を助けるのも励ますのも人なんですよね
それを思い知った震災でした
学さん>
こちらこそ、コメントを残してくれてありがとうございました
後悔しないように生きるって、すごく難しい事だと思います
ボクはあの時学んだのは、人間もまた動物で死ぬ時ぁ死ぬって事
生きている、その行為自体が奇跡であって、
死は誰の横にもそっと寄り添っているという事
つまり、『生きているだけで素晴らしい』と、感謝しながら生きる事を学んだ次第です
shuaさん>
特に中華街周辺は無事でしたからね…これも風水パワー?
ボクは転勤者の為、それほど知人は多くなかったんですけど
元々あの地に住み、育ってこられた方のご心痛を思うと
言葉もありません
住んで数年のボクですら、なじみの店の倒壊や知人の逝去に涙しましたから…
鶴丸さん>
首相の話もそうですけど、人間には想像力の及ばない事がきっとあります
大きな地震と言われても体験していなければぴんとこないだろうしね
現に神戸が飲み水確保や、食料供給に苦労していた頃、すぐ横の街、大阪では全く他人の顔でバーゲンセールやってましたから(^^;
人の身になって考える、その事の難しさも知りました


Posted by: 章仁 | January 18, 2006 at 09:34 AM

私もあの時、神戸にいました。自分のことで精一杯でしたが。

落ちてしまったJRや阪神の高架や焼け野原のようになってしまった場所を忘れることはないでしょうが、その時の記憶が薄れつつあることも感じます。

この記事を読んで、今まで思い出さなかったことがちょっと思い出されました。ありがとうございます。

万一、同じようなことが起きたら、今度はもっといろいろなことができるように。またできることを少しでも増やしていきたいと思います。

Posted by: Kenji@ザウルスのある生活 | January 19, 2006 at 10:24 PM

そーやって心掛けているだけで、随分と違う筈ですよ
体験者の方がきっと迅速に動けると思うので、
もしも『次』があったら、ぜひ積極的に動いてくださいね
冗談ではなく、一人の活躍が一人の命を救えるかもしれません
実際そうでしたからね…

Posted by: 章仁 | January 19, 2006 at 10:47 PM

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色々と理由はあるのですが、今日はそのうちの一つを書いておきます。 それは、pocketbookの章仁さんのエントリで思ったことでした。 1月17日、そう、神戸の方々にとって忘れられないあの日。その日の記憶を章仁さんは日記に書かれていましたよね。 阪神淡路大震災から10年 その後も、時々その被災の経験から色々な記事を書かれ、今年もまた一昨日、震災に触れた記事を見かけました。 消えない記憶がボクにはある 私は去年、そんな章仁さんの記事を読んで、こう思ったのですね。 「今、私が死んだら、... [Read More]

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